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北海道のご当地グルメ

北海道 ラーメン発祥のお話 その3 ハオラー(好了)!

「なんとかしないとねぇ。」

中国人の留学生たちや最近は店の評判を聞きつけて来てくれるようになった日本人の客で賑わう店を見ながら大久タツは思いました。
「せっかくここまで来たんだから、このままじゃいけない。でもどうしたらいいんだろう。」
厨房から料理人王のよく通る声が響きました。

「ハオラー(好了)!」


北9条西4丁目、北海道大学の正門前の一角にその店が「支那料理 竹家食堂」の看板を上げたのは大正11年の4月のことでした。


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北海道 ラーメン発祥のお話 その2

日本で最初のラーメンは、というと色々な説があります。

ちょっと前に話題になったのは、水戸の黄門様が中国の麺料理を食した、と言うのが文献にあるとか。1665年のことだそうです。これはどのような物だったかは不明ですが、中国人儒学者が作った「汁そば」、と言うことですからスープに中華麺の入った物、なんでしょう。今のラーメンとはもちろん違うとは思いますがラーメンの元祖、と言えなくもない(笑)ちょっと微妙、ですね。黄門様のお気に召したかどうかは不明ですが、この「汁そば」が普及することはなかったようで、その後の記録には出てきていません。ま、物好きなお殿様が珍しい物に興味を示した、と言うような事のようです。
(もっとも鎖国以前は日本と中国の間を行き来する民間人もけっこういたでしょうからスープに中華麺の入った物、を食べた日本人は黄門様に限らなかったような気もします。)

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それから200年ちょっとたった明治初期、1884年の函館新聞に函館の「養和軒」というレストラン(華僑が経営する洋食の食堂、だったそうです。)が、「南京そば」発売という広告を出しているのだとか。
この「南京そば」がどんな物かもはっきりとは分からないのですが、「養和軒」の中国人料理人(店主?)が作りメニューに載せていたようです。
函館は幕末期最も早く開港された港町の一つですから外国の文化が入ってくるのも早く中国人も多かったのかもしれませんね。

この「南京そば」と言う名前はその後明治の中頃から横浜中華街に屋台の南京そば屋が次々と現れたことでよく聞かれるようになります。

(函館の「南京そば」と横浜の屋台の「南京そば」が同じような物なのかどうかも不明(すいません。))

そして、1910年東京浅草の「来来軒」と言う店が「支那そば」をメニューに載せます。今のラーメンに近い物を店で提供したのははっきり記録に残る中ではこれが最初のようです。

さて、それから、10年ほど過ぎた1922年(大正11年)、札幌北海道大学前に一軒の店が開店しました。

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