2010年6月アーカイブ

日本で最初のラーメンは、というと色々な説があります。

ちょっと前に話題になったのは、水戸の黄門様が中国の麺料理を食した、と言うのが文献にあるとか。1665年のことだそうです。これはどのような物だったかは不明ですが、中国人儒学者が作った「汁そば」、と言うことですからスープに中華麺の入った物、なんでしょう。今のラーメンとはもちろん違うとは思いますがラーメンの元祖、と言えなくもない(笑)ちょっと微妙、ですね。黄門様のお気に召したかどうかは不明ですが、この「汁そば」が普及することはなかったようで、その後の記録には出てきていません。ま、物好きなお殿様が珍しい物に興味を示した、と言うような事のようです。
(もっとも鎖国以前は日本と中国の間を行き来する民間人もけっこういたでしょうからスープに中華麺の入った物、を食べた日本人は黄門様に限らなかったような気もします。)

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それから200年ちょっとたった明治初期、1884年の函館新聞に函館の「養和軒」というレストラン(華僑が経営する洋食の食堂、だったそうです。)が、「南京そば」発売という広告を出しているのだとか。
この「南京そば」がどんな物かもはっきりとは分からないのですが、「養和軒」の中国人料理人(店主?)が作りメニューに載せていたようです。
函館は幕末期最も早く開港された港町の一つですから外国の文化が入ってくるのも早く中国人も多かったのかもしれませんね。

この「南京そば」と言う名前はその後明治の中頃から横浜中華街に屋台の南京そば屋が次々と現れたことでよく聞かれるようになります。

(函館の「南京そば」と横浜の屋台の「南京そば」が同じような物なのかどうかも不明(すいません。))

そして、1910年東京浅草の「来来軒」と言う店が「支那そば」をメニューに載せます。今のラーメンに近い物を店で提供したのははっきり記録に残る中ではこれが最初のようです。

さて、それから、10年ほど過ぎた1922年(大正11年)、札幌北海道大学前に一軒の店が開店しました。

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今の日本人が大好きな料理、と言うとすぐに思い浮かぶのが、
一つはカレーライス。
そして、もう一つが
ラーメン。

この二つに共通するのは、どちらも明治時代に外国から入ってきた物が日本流にアレンジされ日本の料理として定着した物だと言うこと。
カレーはもともとインドが発祥でそれがイギリス人の手を経て日本に来た物ですし、ラーメンは中国人の料理人が作っていた麺料理がしだいに日本人の好みに合うように変化して今の形になった物です。

日本人の多くが好きな料理に挙げるラーメンですが、
このラーメンというネーミングが全国的に定着したのはいつ頃からか知っていますか?

1958年8月、初めてのインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売になり大ヒット。その後各社もインスタントラーメンの開発・販売を始め1960年代には国民食とも呼べるような存在になっていきます。このインスタントラーメンの普及が「ラーメン」と言う呼び名を全国的な物にしたと言われています。

それまでは「ラーメン」はあまり一般的な呼び名ではありませんでした。ほとんどの地方で戦前は「支那そば」、戦後になってからは「支那」と言う呼称は問題、と言うことで「中華そば」と呼ばれていました。(中にはただ「そば」と言うとラーメンを指し、昔からの「蕎麦」のことは「日本そば」と言うところもあったようです。)

しかし、北海道は違いました。北海道では戦前から「ラーメン」のネーミングが一般的で「支那そば」「中華そば」の方が少なく、戦後はほとんど使われていなかったようです。

私事なのですが・・・
私は北海道で生まれ育ち、高校を卒業して青森県弘前市の大学に進学。初めて本州で一人暮らしを体験することになりました。その時新鮮な驚きだったのが食堂などのメニューに「ラーメン」の文字がない、ということでした。(札幌ラーメンのチェーン店を除いて、ですが(笑))「中華そば」「五目中華」etc

「御注文は?」
「(おそるおそる・・・)ラーメン。」
「はい。中華一つ!!」
(あっ、通じた(笑)でも、「ラーメン」は「中華」なんだぁ。・・・(笑))

もうだいぶ昔の話ですが(笑)・・・昭和50年代のことです。


でも何故、北海道では「ラーメン」が早く普及していたのでしょう?

北海道のラーメンの発祥は大正時代に遡ります。