「なんとかしないとねぇ。」
中国人の留学生たちや最近は店の評判を聞きつけて来てくれるようになった日本人の客で賑わう店を見ながら大久タツは思いました。
「せっかくここまで来たんだから、このままじゃいけない。でもどうしたらいいんだろう。」
厨房から料理人王のよく通る声が響きました。
「ハオラー(好了)!」
北9条西4丁目、北海道大学の正門前の一角にその店が「支那料理 竹家食堂」の看板を上げたのは大正11年の4月のことでした。
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