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手稲の歴史 先史時代

手稲という地名はアイヌ語の「テイネィ/teyne-i」(濡れている・もの)に由来し、現在の手稲区市街地の広がる山麓が開拓される前にあった低湿地帯を指すといわれています。
 明治45年、手稲区内を流れる新川の川辺で土器のかけらが発見され、その後昭和に入ってからもさらに完全な形の土器が見つかり昭和29年、本格的な発掘調査が行われました。その発掘調査の結果、3000年以上も昔に先住民族がこの地に生活していたことがわかり、この遺跡は「手稲遺跡」と名付けられました。

その後、現在の手稲区前田で、手稲遺跡よりさらに500年ほど早い、4000年ほど前の縄文中期の遺跡も発掘されました。ここからは、縄文中期より約1000年間にわたって、古代人がこのあたりにたて穴式住居を作って生活していたことがわかっています。

そこには住居の中央に炉を設け、にたきもできるしくみになっていたことや死んだ人をそのままうめた墓などもいくつか見つかっているのだそうです。